よっし〜のDDR観
なんていうか、最近感じること。
いろんなDDRサイトを見た。スコアラー、クールダンサー、パフォーマー、ミラーダンサーなどなど…
皆それぞれのポリシーがあってDDRしてる。ページも十人十色でとてもいいなあ。
ああ、茶屋町チルコってトコの人外ぶりも見てみたいなあ…
自分もこれからどんどんパフォっていきたいなあ…
なんて。割と普通の反応?>自分
そんなことを思いながらも、その反面どんどん自分の中で大きくなってくる考え。
現実を見据えると、あまりそう思いたくないけど避けられない考え。
DDRはゲームに過ぎない。
シューティング・ゲームと何が違うか。それは、手でレバーを操作しボタンを押すことを、足でしているだけ。
DDRをプレイして、ダンスをしていると錯覚している自分。
それは違うぞ。だって、画面の矢印のタイミングで足踏みしてるだけじゃん。
ダンス・シミュレーション・ゲームって名前が示すとおり、疑似体験だし。
DDRをプレイして、回ってみたりしてかっこいいと思っている自分。
え? DDRを知らない人が見たら、かっこいいなんて絶対思わないよ?
それがいいと思っているのは本人だけかも。それって自己満足?
そして、これらは、間違い無く真実。
この間、ダンススタジオで体験レッスンを受けた。
体験といいつつ、実際はそこの会員の人が受けているレッスンを一緒に受けることだった。
どうしてこんなことを考え付いたかというと、DDR・ゲーセンだけでの狭い世界で全てを判断したりしたくなかったから。
「DDR」でなくて「ダンス」をしてみたかった。
まず、最初に10〜15分のストレッチ。それだけで汗がダラダラ。
ストレッチと言いつつ、日ごろ使っていない筋肉を使う。
でも必要だし、これを行う前と後では体の動き、ぜんぜん違う。
一度、DDRする前にストレッチしてみよう。
そしてレッスン。もちろん課題の曲があり、振付けがあり、先生の動きを真似ていくわけだが、もちろん10人いたら10人動きは違う。上半身の動きなんかは、明らかに個人の個性が出てる。
また、笑顔で踊ることを強調する。もっともな話だ。だってダンスは「見せる」もの。
ここで思う。
DDRやってるときに上半身、特に手はどうなっているだろう?
DDRやってるときに顔の表情はどうなっているのかな? そもそも視線は?
DDRやってるときに「見せる」ことを考えているだろうか。
ダンスを踊っている人は、とっても楽しそうな表情をしている。
もちろん自分も楽しい。激しい動きもちっとも苦痛に感じない。
そして、「何かを表現する」ことが最大の目的になっている…ような気がする。
すくなくとも先生の「お手本」を完璧に再現することじゃない。
スタジオで知り合った人と話しているとき、どうしてダンスをしてみたくなったのか聞かれた。
DDRのことを話すと、知っていると言っていた。
だけど、あまり興味はない様子だった。あれはあくまでゲーム、みたいな言い方をされた。
ああ、やっぱそうなんだな〜って思った。
「DDR」はあくまで「DDR」。ゲーセンにおいてあるゲーム機だ。
だけど、それをただのゲーム機にするか、それともそうじゃなくするかは自分次第。
自分は、ただのゲーム機として接していない。
気軽にダンスが踊れる場所がゲーセンの一角に出来たのだと思ってる。
だから、「ダンス」を踊りたいし、そうなるように頑張っていこうと思う。
いつの日か「似非ダンサー」ではなく「ダンサー」と言える日がくればいいなあ…
こんなに自分が変わるとは思わなかったなあ…
ダンスミュージック(ユーロ・ハウス・テクノ)は毛嫌いしていたし、ダンス踊ってる人に偏見持ってたし、DDR始める前は、こんなのに狂ってるのはおかしいとか思ってた。
今は、変わることへのきっかけを作ってくれたDDRに感謝。
体が耐えられる限り踊りつづけよう。
Written by よっし〜 Edited by Utano-Tsubasa